・とてもいやあなことがあり、それは個人的にどうこうされたとかいうことじゃなくて単純にそれは会社としておかしかないかいってことだったのでどう訴えていいやら分からず(訴えたところで軽く笑っていなされたし)悲しくて人前でぎぎぎ、と涙を流し やってられんわい!と大声を出してそのテンションのまま定時の瞬間に飛び出す。悲しみを振り切っていかねばならぬ、佐賀の映画館。この日福岡であった浅生ハルミンさんのトークショーに、休んだらダメョと言われたために行けず、ならばと特急に乗って夜の部が行われる佐賀まで行くことにしたのでした。佐賀バージョンは視界が小柳帝さんやと言うし。
事前に買った大きなお弁当をぶら下げて大急ぎで博多駅に行くと恋人が待っていて長い長いまつげを見たらさっき大声を出したことも軽く笑い話みたいな気持になってしまって、しかも急いで乗り込んだ特急はやたらと最新式で快適、私たちすぐにお弁当を広げて猫のことなど話し合う。チビトムという名前、とてもいい。私も、猫と一緒に暮らすようになったら トムくんとつけたかったのを思い出したよ、と言うと、宮崎吐夢から?と聞かれて笑う。山のトムさんだよ。あとは単純にトムくん、という響きが可愛いんだ。
佐賀まではあっという間につき、初めて来たね佐賀ね、といそいそ降り立つと、そこはクリスマスムードというかこのエコエコうるさいご時世におおらかというか過剰なまでの電飾。何故だ!?と大笑いしながら歩く。やたらロマンティックなムードの道を、小学生が縦笛みたいなんで戦いあっていて、もうすぐ10年代とか言うけど子どもは基本的にかわらんのんねーとか何とか。
知らないきらきらした電飾の町(だけど電飾以外はすこおし寂しいんだ)に突如 トムとジェリーの電飾!佐賀銀行のキャラクターらしく、トムづいているーと喜ぶと恋人はまたも宮崎吐夢の歌を歌う。
初めてついたシエマは、広々していて、ソファもカフェのスペースもゆったりしていて、とてもくつろげる。こんなとこが近くにあったら嬉しいねとか言ったり、知り合いのかわいこさんに挨拶してたら、ああ、ああ!とっても素敵に可愛い人と、柔和かつダンディなおじさまが!
ハルミンさんのきれいなおかっぱと、ときおりちらちらと見えるピアスと、不思議にかあいらしいワンピースときれいな目と、ああ、ああ、気付いたら私の手はしっかり前で結ばれて、憧れの先輩の試合を見にきた後輩のよう(もちろん先輩は私のことなど知らないのだ)。猫ストーカー秘話と、作成フィルム(ロケハンの様子) ハルミンさんがしっかりとした眼差しで、今ここにいない猫の動きの予想を鈴木卓爾監督(犬猫に出てくるあの人だね!おお、それだけでもじん、としてしまった。あの皺っぽくてふにゃふにゃした顔、妙に魅力的な)に伝えるシーンは、本人いわくまるで霊能力者のよう、で笑ってしまう。真剣できれいで、愛すべきささやかな滑稽さ、というか。ふふふ。それは猫そのものですね。
猫の話だけではないよ、小柳帝さんの優しい声に導かれて、話は古本にまで行く。ああ、うれし!佐賀まで来て良かったと思った。ハルミンさんは、今頭の中が「旅の重さ」祭りだそうだ。

旅の重さ [DVD]

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旅の重さ (1977年) (角川文庫)

旅の重さ (1977年) (角川文庫)

素九鬼子…自分の名前に鬼を入れるとは、と思って気になって買ったらすごく良くって、映画も観たそう。偶然にも鈴木監督が「私は猫ストーカー」のシーンでも旅の重さのあるシーンを念頭においてとったシーンがあるそうな。魔法のようなきれいな偶然だな。
何というか、猫にしろ古本にしろ、好きなものをこんな風に、軽やかに見える愛し方ができたなら、と思う。ハルミンさんのエッセイで好きなのはその軽やかさだ。つい自分だったらセンチメンタル過多にしてしまいそうなことに、ふわと風を入れるような。フラットなような、でもきっとその奥底に強い意志があるような、その感じがとても好きなのだけどもお話を聞いていても、その印象はエッセイと同じだった。聞きやすいというか、素直に そうか!と思いやすいというか、それが、チャーミングさというものなのかしらん。いいな。
(しかし、小柳帝さんが痛快洞でアルバイトなさってたとは!)
早く、映画観たい!と膨らむ気持をどうにかたたみこんで(何しろこの後の上映を見ると福岡に帰れないので。福岡でももうすぐ上映だし)恋人について来てもらってハルミンさんのとこへ行く。緊張してずっとニヤニヤ笑ってしまう。好きな人とか憧れの人に会うのは、本当に楽しくてどうやって伝えよう?私はいつも伝え方が分からない、だからニヤニヤ顔を晒してしまう。分からないことや難しいことは多いな。現にこうしてメモにしてこのときの気持のしっぽを捕まえておきたい、手で握っときたい、と思うけど楽しくてプールの水面が光るみたいな時間の粒はやっぱりいつも通り、切なく胸で蠢くばかりだ。やっぱり全部言えない。切ないけども、だからこそ体ごと一つ一つのことにぶつからなくてはと思う。きっとそんなことを後で思って切ながるのだろうな、と思いながら、ニヤニヤ笑った。
書籍の方の猫ストーカーに二人の名前を書いてもらって、ぎゃあぎゃあ喜ぶ頃には、数時間前会社で罵り声をあげたことが霞の遠く遠く向こうのことのようで、本当に不思議でおかしかった。
帰りの電車で恋人の買ってきたスコーンを半分ずつにして、そういえばこの日のタマフルのゲストが宮崎吐夢であることにびっくりしつつ大笑いして博多に帰った。
・そんなこんなで読書熱がまたふわんときたので、ずっと買いそびれていたのを買いました。
女の足指と電話機―回想の女優たち

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二弾目も出たね
仮面の女と愛の輪廻

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