昨日のこと
恋人のDJを観に行く。恋人の大学時代の友人がたくさんいる。彼の大学時代も私のものとかわらぬぼんくら具合なもので、どうにもこうにも自分の記憶と入れ違いそうになる。大学の近くの定食屋の話しなど聞いて、どうしてそこに自分がいなかったのか、反対に自分が大好きな先輩後輩の話しをしてて、どうして彼らは彼らのことを知らないのかな?って思ったりする。変な感覚、でも、おもしろいなあと思う、私はひとりぼっちじゃないなってそんな気持に近い気持になる。久しぶりのDJイベントなのでたいそう機嫌良く踊りました。恋人の選曲は割ときらめいていて、難しいところがなく、だからとても楽しい。そして12時過ぎに、カレーライス食べたよ
今日のこと
後輩のM君が泊まっていたので、有給をとった恋人と三人で遅くに起きだして、ずうと遠くまでお散歩。寒くて、薄暗い、おひな祭りなのにね、でもきっと私はまたこういうのちまちま思い出すんだろうなー、Mくんはホットコーヒーで、わたしたちはホットミルクティーだったとかさ、景気悪くて暗い女なのかな、でも、こういうの一つ一つ覚えておいて、打ちに行きたいの、やっぱり胸が、きゅん、とすることが好きみたいだ(だからって言葉の裏を読んで勝手に落ち込む癖は絶対に、絶対に、もうやめたい。ルーシーも、勝ってる試合にあれこれ迷うな!ゆうてるしね、ほんと、いいこと言うよ...)(あ、あと、スヌーピー切手、ちゃんと買えたよ。とりあえず2シート買った)
たこ焼きを買うつもりが、まだ焼けてないとのことだったので、更に歩いて、ぼうラーメン屋。私はずいぶん福岡におりますが、いまだラーメンの注文の仕方がよく分からない。ラーメンは変な味。その変な味が二人は好きなんだそうだ。それから好きなコーヒー屋に行って、あれこれ、まだ学生であるM君に質問したりする。2010年に学生である人の気持とか生活ってどんなかな。いつだって、自分が渦中にいないことは想像しかできないのがもどかしいから、質問したくなる。
それこそ、今日ツイッターで、少女論(オリーブ少女や森ガール)を語る男の論点のズレについて盛り上がってて、山崎まどかさんが、自分の文化で勝負しようよ、と言ってて、うん、と思った訳でした。ぼう文芸評論家が、女子にしかわからない感性、なんてとっても乱暴な言い方、と言ってて、確かにそれにもそのときうん、て思ったんだけどな、もちろんうんと頭がよくって想像力があるならばきっと分かり合えるんだろうけど、まあ、私としては、杉作J太郎さんみたいに、男と女は全く違う生き物で、わかりあえっこないんだから、だからこそお互い楽しくなるように想像力を働かせようよ、というスタンスが好きだな。だって、全部わかるなんてつまらないし、分からないから知りたいし、喜んだり悲しくなったりしたい、と思う。
とか、そんなことを思いながら、大事に大事にちょびっとずつ読んでいた、「なにたべた?」が終焉を迎える。M君おっても、気にせず目頭を熱くさせたよ。枝元なほみさんのパンチラインはいちいち、それこそ「女子」をついてくると思う。タフでわがままで寛容でたまにすごく泣く感じ。あーあ、こういう風に、寛容にタフに、で、ちゃんと甘ったれた気持も忘れずに生きて行きたいな。「その男の人が好きとかよりも、きっとほんとは、愛情生活欲してるの、わかってんの。なんだか、ちゃんと一人で暮らす、とかやなんだ、もう」とか、結構言うのってしんどいことだしな。ちゃんと言えてすごいなーって思う。しんどいこともごまかさずちゃんと泣いて怒ってるファックスにがんがんうたれる!「いいも悪いも含めて、そーだったときがあった、の記憶として、ひょーはくされて残るんじゃないのかしらね。なんつったって、悪口は女の楽しみ、おーよーにかまえて出せるだけ出しちまったほうがいいわ」って!ぎゃー!
今からのこと
急いでごはん食べてカフェに恋人のDJみにいく。好きな先輩と。悩んでいる彼女に果たして私はこういうふうに鷹揚で力強いことって言えるのかな、まあ、言えないな、まだ練られてないもの。